スプリンターズステークスの歴史

電撃の6ハロン・スプリンターズステークス

スプリンターズステークスができたのは古く、1967年でした。
この当時は天皇賞秋がまだ3200メートルと長く、全体的に中長距離のレースがほとんどで、いわゆる短距離重賞はスプリンターズステークスのみとなっていました。
そのため、レースに勝利していくと距離適性に合ったレースを探すのが難しく、スプリンターズステークスを目指していく形にならざるを得ない馬が相当いました。
それでも、歴代のスプリンターズステークスの優勝馬には歴史に名を残す馬も存在します。
1969年に勝利したタケシバオーもその1頭です。
タケシバオーは朝日杯3歳ステークスや天皇賞春を制し、クラシック戦線は皐月賞もダービーも2着と惜敗、菊花賞をパスしてアメリカ遠征をするなど当時としては珍しい経歴を持っていました。
最後のアメリカ遠征の前哨戦としてスプリンターズステークスに出走し、62キロという斤量の重さを克服し、レコードタイムで勝利しました。
歴史上初めて連覇したのはサクライワイです。
サクライワイは桜花賞で2着だったものの、父がスプリンターだったことでオークスで惨敗し、短距離路線に切り替え、スプリンターズステークスに出走、日本レコードを1秒ほど更新する圧勝で優勝し、翌年は安田記念を制覇し、スプリンターズステークスを連破するなど短距離路線で活躍しました。
このように、マイル路線と短距離路線が混在していたため、マイル路線が拡充してくる80年代まではこうした傾向が続いていくことになります。
スプリンターズステークスの歴史上初めて1分7秒台に突入した馬はバンブーメモリーです。
バンブーメモリーは脚部不安だったことから、デビューから1年半以上ダートでしかレースをしたことがなく、ようやく改善が見られ、初めて芝を走らせてから3戦目で安田記念を制覇するという変わった経歴を持っています。
その後、マイル路線を中心に活躍し、特にオグリキャップとの死闘を演じたマイルチャンピオンシップは語り草となり、他にも1200メートルの重賞でも勝利するなど、距離における守備範囲が広かったバンブーメモリーは1990年からG1に昇格したスプリンターズステークスに出走し、後方から一気に抜け出し、日本レコードで快勝、1分7秒台で走り抜けました。
スプリンターの質が世界で高いレベルにある香港における香港スプリントでも勝利する馬が出てくるなど、スプリンターがどんどん世界にチャレンジしていきますが、その礎となったのはスプリンターズステークスなのです。

そんな歴史あるスプリンターズステークスが、今年も開催されます。

電撃の6ハロンを閃光の様に1着で駆け抜ける馬、的中させてあなたのスプリンターズステークス史に新しい1ページを刻むのも楽しいですよね。

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